会社脱出計画その①
新年度を迎える直前,社会がざわめき立つ季節。
やさしい風に首筋を撫でられたことは今でも忘れられない。
桜の枝に散りばめられたちいさな粒が膨らむことに期待と不安を比喩すると
腰の辺りがむずむずした。
そんなことを肌身に感じられるのは社会を知りもしなかった頃の余裕の1つに過ぎないと,今になって思う。
青みが感じられる黒を見つめていると,吸い込まれるような深さを感じることがある。
私の心が魅了されてしまったのはつい先日の事だった。
新入社員として現在の職場に配属されて数年,繰り返しの会社員生活に少し型を持たせて
仕事は仕事,と割り切ることができていると思い込んでいた。
会社への通勤は自転車で15分程度で,時間に余裕がある。
朝食を取った後に備え付けのベッドの上で横になり,業務開始時刻に滑り込むように出社していくのが習慣だった。
さて,行くか。となった時,頭の中で聞きなれない音がした。
どうしても私の意識系統の敬礼に対して体が応えてくれないことに気付く。
意識ははっきりしているし,眼も動く。呼吸も正常なのに。
口から足の指の爪先まで微動だにしない。
糸に吊られて踊り狂う木製の人形が渇いたような音を発ててカラ、ガシャと崩れ落ちる瞬間を見つめているような状況が想起された。体が動かなくてもこんなことは考えられるのか,と少し自分に驚く。
そこからは恐怖心との兵糧戦だ。
理由もわからない症状で,経験のない症状。まったく動けないというこの状況を打開する方法に心を傾けてみても都合のいい閃きは起こらない。
助けを呼びたくても,私の顔にある裂け目は頑なに動こうとはしなかった。
誘拐されて縛られるとこんな気持ちなのかな,このまま死んだとしたら誰かが見つけてくれるんだろうか。冗談はよし子ちゃん。
考えたくなくても,思い付きたくなくてもどろどろと流れ込んでくる想像に
精神が拒絶という苦味を感じてのたうち廻っている。
無理に後頭部を引きずられながら,私は底のない深淵に攫われていった。
1時間と少し経った頃,私の部屋にやってきたのは寮の管理人だった。
人の声がする。今動けなければ助からない可能性だってある。動け,動け。
弛んだ全身の筋肉にやっとの思いで力が入る。立ち上がって見たものの
視界が揺れる,歪む。北側のドアに向かっているのに明後日の方角に足が向く。そっちはたぶん新潟のほうだろう。
すがりつく様に掴んだドアノブに少しだけ温度を感じた。
自分が蜘蛛の糸を垂らされる場面があったなら,ステンレス製のワイヤーだといいな…
力が入らない指先ではうまく鍵を開けられることもできず,つまむような形にした爪先を
肘で回すようにして開けた。
それなりの明るさだった割に,ひどく虐められているように思えてとても辛かった。
その中で,濃い日焼け顔が酷い田舎訛りでガヤガヤと私に向けて何かを話している。
ほぼ無意識に「はい、はい、すみません」と応えると,嵐のような救世主は去っていった。
会社に勤めて数年,初めて無断欠勤をした。